私たちも誓う
本願を立つ。
日本国の位をゆずらん、法華経をすてて観経等について後生をごせよ。
父母の頸を刎ねん、念仏申さずわ。
なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。
その外の大難、風の前の塵なるべし。
我日本の柱とならん、我れ日本の眼目とならん、我れ日本の大船とならん、等とちかいし願、やぶるべからず。
現代語訳
日蓮は法華経の弘通を決意したとき誓願を立てた。たとえ日本の国主の位を譲り与えることと引き替えに、法華経を捨てて念仏の依り所とする『観無量寿経』等を信じて後生を願えと言われても。また念仏を称となえなければ父母の首を刎ねてしまうとおどされても。その他、さまざまな大きな法難が起ころうとも、智者によって我が信仰を論破されない限り、決して屈服することはない。その他の大難などはあたかも風の前に舞う塵のようなものでしかない。「教主釈尊の誓願をこの日本国に実現するために私は日本の柱となろう。私は日本の眼となって見据えていこう。私は日本の大船となって人々を救済していこう」この三 つの誓願を決して破ることはしないと改めて誓うのである。
法華経『法師品』第十には、私たちは仏様に「娑婆世界で法華経を弘め、仏様の世界を築くお手伝いをして来ます」と
自ら誓って生まれさせてもらったのだと説かれています。
この誓いを思い出しましょう。
大聖人の三大誓願は私たちの誓いでもあるのです。
開目抄
本書は流罪地、佐渡に於いて門下への遺書として著述された。主題は大聖人の教えの真髄を明かすことと、さらに自らがまさしく法華経を弘める行者か否かであり、最終的に末法の人々を救済する上行菩薩として自らがその使命を帯びていることを明かされている。日本の柱・日本の眼目・日本の大船この一節は今、初めて語られたのではなく、大聖人、三十二歳、建長五年四月二十八日に初めてお題目を唱えられた時に立てられた誓願である。これを三大誓願と呼ぶ。大聖人の六十一年のご生涯はこの誓願実現の為のご生涯であった。