信仰の厳しさ
古郷の事、はるかに思いわすれて候いつるに、今このあまのりを見候いて、よしなき心、思い出でて、憂くつらし。
片海・市河・小湊の礒のほとりにて、昔見しあまのりなり。
色形あじわいもかわらず。
など我父母かわらせ給いけんと、方違なる恨しさ、なみだおさえがたし。
現代語訳
故郷のことはすっかり忘れていたのに、今この甘海苔を目にして、わけもなく胸がいっぱいになって、憂く辛くなってしまった。これは、まさしく、片海・市河・小湊の磯のあたりで昔見た甘海苔に違いない。色も形も味もまったく同じである。何もかも昔通りであるのに、ああ、どうして私の父母だけがお亡くなりになって、もう戻って来て下さらないのかと、まるで見当違いの恨めしさに、涙が流れて止めることができない。
このお手紙を通して、望郷の念を懐く大聖人のお姿に限りなく親近感を覚えます。
しかし、流された涙の裏にある法華経信仰への厳しさを痛感せずにはいられません。
信仰を貫くには大変な勇気が必要なのです。
新尼
ご両親並びに大聖人ご自身も幼少より恩を受けた安房国・長 狭郡東条(千葉県鴨川市)の領主の女房で夫の死後、尼となった大尼の嫁。この女性も夫を亡くし新尼と呼ばれた。この一節は大尼と新尼から故郷の甘海苔を送られたことへの礼状で、あまりの懐かしさに感涙にむせばれた。しかし、本書はこの続きに、両名からご本尊授与の依頼を受けたことに触れ、大尼は大恩人であるが大聖人が佐渡流罪の時には一時退転した信心不確定の者の為、本尊の授与を許されなかった。一方、嫁ではあるが新尼は不動の信心を貫いたことにより本尊授与を許す旨が述べられている。故郷、両親追慕の念を懐きながらも信仰の上からは決して妥協を許さない大聖人の厳格さがうかがえる。