執着
命終わりなば、三日の内に水と成りて流れ、塵と成りて地にまじわり、煙と成りて天にのぼり、
跡も見えずなるべき身を、養わんとて、多くの財をたくわう。
此の理りは、事古り候いぬ。
現代語訳
死ねば三日程の短い間に、水となって流れ去り、塵となって地に混じり、煙となって空に昇り、跡形もなくなってしまう身を持ち養おうとして、多くの財産を貯える。そういう浅はかな人間の行いは昔から変わらないものである。
人間生きる上で財産を貯えることは必要であるし、身を飾ることも大切なことでしょう。
それがあるから努力も生まれるのです。
一方で「金に振り回されるな」ということも重々わかっています。
しかし、振り回されている自分には気づきにくいのも人間ではないでしょうか。
それを振り返る手立てが日々の信仰なのです。
松野六郎左衛門
駿河国松野(静岡市)の領主。大聖人の最有力信徒で六老僧日持上人の父親にして富士上野(富士市)の南条時光の外祖父でもある。本書は松野氏自ら雪の中を身延まで種々の供養品を持って訪ねてくれたことへの礼状。この時期、疫病が流行し多数の死者が出ていた。にもかかわらず未だ徒に名利にのみ奔走する人々の愚かさを憐れみ、さらにこの惨状の原因は正法である法華経を信じないところにあると説かれている。