父母への孝養
親は十人の子をば養えども、子は一人の母を養うことなし。(中略)
仏の云く、父母は常に子を念えども、子は父母を念わず等云云。
影現王の云く、父は子を念うといえども、子は父を念わず等是也。
設え又今生には父母に孝養をいたす様なれども、後生のゆくえまで問う人はなし。
現代語訳
親はたとえ十人子どもがいてもみんな同じ愛情を持って育てるものだが、子どもはたった一人の親ですら養い難い。(中略)仏は『心地観経』というお経に「父母は常に子のことを案じていようと、子は父母のことを思わない」とあり、また、釈尊に深く帰依したマガダ国のビンビサーラ王は「自分はこれほどアジャセ太子の身の上を案じるのに、太子は王位を狙って私の命を奪おうとしている」と言われたのが、それである。一方、たとえこの世で父母に孝行をする者がいたとしても後生まで心配する者はいない。
「老いて後 思い知るこそ悲しけれ この世にあらぬ 親の恵みに」
という句がありますが、釈尊、大聖人ですら「未だ父母への孝養足らず」と懺悔しておられます。
ましていわんや私たちにおいてをや。
この「足らず」をよくよく肝に銘ずべし。
刑部左衛門尉女房
尾張(愛知県)の住人と伝わるが詳細は不明。この女性が亡き母の十三回忌に当たることから供養の為にと銭二十貫文等を大聖人へ送ったことへの礼状。本書は父母の恩を語り「教主釈尊が父母孝養の為に説かれたのが法華経である。日蓮も母上にかけた苦労を悔い、その償いと報恩は法華経による供養より他になし」と説かれている。