法話~今日の糧~

日蓮大聖人のお言葉

  • 二十日

    私たちも行者に

祈祷鈔 祖寿五十一歳 於佐渡一谷 最蓮房宛(伝)

行者は必ず不実なりとも、智慧はおろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備えずとも、南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし。
袋きたなしとて、金を捨つる事なかれ、伊蘭をにくまば、栴檀あるべからず。
谷の池を不浄なりと嫌わば、蓮を取るべからず。
行者を嫌い給わば、誓を破り給いなん。

現代語訳
法華経の行者はたとえ不実であったとしても、知恵は愚かであっても、また不浄の身であったとしても、さらに戒徳は備えていなくとも、南無妙法蓮華経と唱えるなら、諸天善神は必ず我等を守護しなければならない。たとえば、袋がきたないからといって中の金を捨てるようなことはしないであろう。また、ひどい悪臭を放つ伊蘭樹の臭いを嫌っていては、すべてを清浄にする栴檀木の香りを得ることができない。あるいは、谷の濁った池を不浄であると嫌っていては、蓮を採ることができないのと同様である。諸天善神が法華経の行者を嫌うようなことがあれば、仏の前での誓いを破ることになる。

今日の糧

伊蘭(煩悩)も栴檀(悟り)も両方備えた私たちは、いまこそ法華経の行者となりましょう。
そしてお題目を肌身離さず、諸天善神に守られる日々を送りましょう。

最蓮房
もと天台宗の学僧で何らかの理由で佐渡へ流罪された折、大聖人の教化を受け、弟子になったと伝えられる。本書は諸宗の祈祷は無益であって、法華経の祈りこそ本仏釈尊の心にかなったものであり、必ず成就することを説く。この一節は諸天善神に対し、法華経信仰者ならば必ず守護する使命があることを訴えている。