法話~今日の糧~

日蓮大聖人のお言葉

  • 十九日

    続ける信心

上野殿御返事 祖寿五十七歳 於身延 南条時光宛

抑も今の時、法華経を信ずる人あり。
或は火のごとく信ずる人もあり。
或は水のごとく信ずる人もあり。
聴聞する時は燃立つばかりおもえども、とおざかりぬれば、すつる心あり。
水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり。
此はいかなる時も、つねはたいせず、とわせ給えば、水のごとく信ぜさせ給えるか。
とうとしとうとし。

現代語訳
さて昨今、法華経を信心する人の中には火のような信心をする人と水のように信心する人とがある。火の如き信心とは教えを聞いた時は燃え立つように熱心に信仰するが、それは一時的なもので、時と共に熱が冷め、やがて捨て去ってしまう。一方、水の如き信心とは、いつも退くことなく持続して信じることである。貴殿がどのような時も、水のごとく退せず信じておられるのは、まことに尊いことである。

今日の糧

私たちは何事においても往々にして、熱しやすく、また冷めやすいものです。
信仰は大河のようでなければならないとも言われます。
それは、表には現れなくとも内に静かで強い信念を秘めているということです。
そして、何より大切なのは途切れず続けるということなのです。

上野殿
南条時光。駿河富士郡上野郷(静岡県富士宮市)の地頭で代々北条家に仕えた。大聖人はその地名をもって上野氏と呼ばれることが多かった。父、南条兵衛七郎が大聖人の信徒であったことから、父亡き後、家督を相続した頃より母(上野尼)と共に深く帰依し、身延の大聖人の下へ供養の品々を送り続けた。このお手紙を書かれた頃、大聖人に三度目の流罪が噂されていた。度重なる法難はご自身一人にとどまらず弟子、信者にも及び、退転して行く者が続出していた。その中にあって、この一節は時光の変わらぬ給仕の心持を讃え、法華経信仰者のあるべき姿を示された。