成仏の姿
故阿仏房の聖霊は、今いづくにか、おわすらんと人は疑うとも、法華経の明鏡をもって、
その影をうかべて候えば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにおわすと日蓮は見まいらせて候う。
現代語訳
亡くなられた夫、阿仏房殿は今、どこでどうしておられるかと人は疑っても、法華経の明鏡に映し出してみれば、霊鷲山の多宝塔の中に釈尊と多宝如来の二仏に対面して、東に向かって合掌礼拝しておられると日蓮には見えるのである。
私たちの命は死んですべてが終わるのではありません。
私たちは死後、霊山浄土に詣でて本仏釈尊、多宝如来から法華経を聞き、お題目の信行に励む中に安らぎが得られるのです。
このお言葉は私たちの死後の様子を具体的にお示し下さっています。
阿仏房
佐渡在住の大聖人の篤信者。遠藤為盛と称した。一説に北面の武士といわれ承久の乱(一二二一)によって配流となった順徳上皇に従い佐渡へ居住したともいわれる。当初熱心な念仏信者であったところから阿弥陀仏房、略して阿仏房と呼ばれた。大聖人の教化に浴し、妻の千日尼と共に、大聖人佐渡在島中はもとより身延に入られてからも給仕の心怠らず、生涯三度、佐渡より身延の大聖人の下を訪ねている。
千日尼
阿仏房の妻。本書は遺子・藤九郎守綱が亡父阿仏房の遺骨を大聖人の下にこの前年埋葬し、翌年再び参詣した折に母の千日尼宛に託したお手紙の一節。亡き夫の霊山浄土での有様を具体的に描写し、成仏は疑いないものと述べられ、千日尼の悲しみを慰め、一層の信心を励まされている。