地獄も仏も心の内
そもそも地獄と仏とはいづれの所に候うぞとたずね候えば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候う。
しかれども委細にたずね候えば、我等が五尺の身の内に候うとみえて候う。
さもや、おぼえ候う事は、我等が心の内に父をあなづり、母をおろかにする人は、地獄その人の心の内に候う。
現代語訳
そもそも地獄と仏とはどこに在るかと尋ねてみると、地獄は地の下にあるという経文もあり、あるいは仏は西方の極楽浄土などにいるという経もある。しかし、よくよく尋ねてみると、地獄も仏も我々の五尺の身体の内に在るものだということが説かれている。なるほどと思い当たる節をいえば、我々が心の内で父を侮ったり、母をおろそかにする者がいるなら、地獄は他所ではなくその者の心の内に存在するのである。
自らの生き方を振り返った時、己の心にも地獄があったことに気付くのが信仰の原点ではないでしょうか。
その時、同時にご本仏釈尊に生かされている自分が見えて来ることでしょう。
それが信仰の喜びというものかも知れません。
そのための第一歩は己を謙虚に省みることではないでしょうか。
重須殿女房
重須は地名で、駿河国富士郡重須郷(静岡県富士宮市北山)に居住した石川新兵衛入道の妻で大聖人の最有力信者の一人、南条時光の姉あるいは妹と伝えられる。本書は餅や菓子の供養への礼状に添えて、地獄と仏について教え、いずれも所在は我等の心の内にあることを説く。