諸天善神の守護
霊山浄土教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身諸仏・地涌千界の菩薩等、
梵釈・日月・四天等、冥に加し顕に助け給わずば、一時一日も安穏なるべしや。
現代語訳
霊山浄土におられる教主釈尊・宝浄という世界に住む多宝仏・十方分身の諸仏・大地から涌き出した菩薩方、梵天・帝釈天・日天・月天・四天王などの諸仏・諸菩薩・諸尊が、陰に陽になって常にご守護下さらなければ、一日片時も安穏に法華経、お題目を弘めることができないのである。
お題目を唱える者は諸天善神に見守られているのです。
しかし、このことに気付かず不安になったり、迷ったりしてしまいます。
今一度信じようではありませんか、私たちには本仏釈尊、大聖人が片時も離れずにいて下さることを!
撰時抄
「撰時」とは時を選ぶという意味である。何の時を選ぶのか。それはお題目を弘めるべき時を選ぶのである。本仏釈尊がお題目を末法という今この時にこそ弘めるべき教えとして選ばれたのである。さらにそれを弘めるべき師として選ばれたのが日蓮大聖人なのである。この一節は本書の末文である。末法にお題目を弘めるならば必ず迫害に遭うという釈尊の予言通り、大難四ヶ度、小難数知れずの大聖人のご生涯であった。しかし、その中にあっても命をたもち布教できたのは、ひとえに諸天善神のご加護によるものと感謝されている。