妙昌寺について

妙昌寺の沿革

妙昌寺は、尼崎市の南西部にある、日蓮宗のお寺です。
妙昌寺の前を流れる武庫川は、丹波山地を源とし、宝塚歌劇場の傍を流れ、大阪湾へと注ぐ河川で、河川敷ではジョギングや球技が楽しまれ、桜の季節には多くの花見客で賑わいます。

妙昌寺から北に400メートルの位置にある武庫大橋は、天才橋梁技術者と言われた増田淳の設計により、昭和2年に完成したアーチとバルコニーがモダンな、趣のある橋です。

また、妙昌寺と武庫大橋を挟んで対岸にある、旧甲子園ホテル(現・武庫川学院甲子園会館)は、フランク・ロイド・ライトの愛弟子遠藤新の設計により、昭和5年に竣工した阪神間を代表する名建築物で、皇族をはじめ数多くの要人を迎えた、超一流ホテルでした。

このような、自然とモダニズムの薫る場所に、妙昌寺の前身の妙昌教会が開かれたのは、昭和の後期です。 能勢妙見山で修行を積んだ尼僧が、「悩める人の救いになれば」と、法華の道場を開き、多くの信者さんの心のよりどころとなっていました。 90歳で亡くなった尼僧の志を残そうと、有志の信者さんによって建てられたのが、妙昌寺です。現在は、ゆったりと流れる武庫川のように、自然体でどなたでも信仰いただけるお寺として、多くの方にお参りいただいております。

ごあいさつ

良き師に導かれ、声明師の道に

寺の長男として生まれた私は、小学校高学年になると、夏休みの1週間、「僧風林(そうふうりん)」という、小僧の道場に通いました。学年が上がって役をもらい、後輩の面倒をみたのも楽しかった思い出です。
その道場に、仏教の音楽「声明(しょうみょう)」を究めた先生がおられて、大変お世話になりました。 30歳の時、法要儀式の作法および声明を身につけるために、声明師養成講習所に入ったところ、「僧風林」でお世話になったその先生がおられて、「ようやく来たな」とおっしゃって下さったのです。

「私が修行に来るのを、待っていて下さった」と大変感激しました。 以来その先生について、声明師として経文を唱える声量、動作、品位などを磨き、比叡山や横浜アリーナでの大きな法要や大会も担当させていただきました。 僧侶がプロ意識を持って荘厳な声明法要を取り行えば、お参りの方々に、ありがたさや悦びを感じていただけます。恩師からの教えを次の世代に引き継ぐために、さらに勉強を続けたいと考えています。

妙昌寺住職 臨床宗教師
村尾 雄志 (僧階 大僧都 僧名 日寶)

昭和39年1月生まれ。
11歳で出家得度。
主な役職:兵庫県東部声明師会会長、伝道センター企画委員

昭和59年、信行道場を修了し日蓮宗僧侶となる。
立正大学仏教学部卒業後、九識霊断法(くしきれいだんほう)を習得し、翌年には極寒の中、百日大荒行を成満。 平成3年、布教研修所で6ヵ月間、さらに布教院にて研修を積み、布教専修師に任命される。

平成5年、妙昌寺の住職に就任、平成6年には声明師(しょうみょうし)になり、その後も修行、研修を積み重ね、現在は、信行道場、僧風林、僧道林など宗門の教育機関において、後進の指導にもあたっている。 妻と2人の息子との4人家族。趣味は、料理。

免許/資格
・小型船舶二級・食品衛生管理責任者

これまでの歩み

昭和50年夏:11歳 千葉県、安房小湊 清澄寺へ度牒式に出向き千年杉の前で

左から弟(三男) (現 舞鶴市 本告寺住職)、 友人(現 神戸市 法蓮寺住職)、 住職(長男)、弟(次男)(現 大阪市 宝泉寺住職)

昭和50年:11歳 大阪市 妙法寺にて本堂落慶法要の待者を務める

昭和63年:25歳 百日大荒行にて修行~成満帰山式

入行前日

水行披露

帰山

平成3年:布教研修所にて六か月間の修行

高座説教 日蓮聖人伊豆法難のクリ弁

宗務院 月例金曜講話にて法話

唱題行脚

お寺のスタッフをご紹介します

お寺の行事をお手伝いいただいております世話人さんをご紹介させていただきます。
左から下松さんご夫婦、清水さんご夫婦、坊守、住職。
行事の準備、受付、交通整理、進行、後片付け等々、切り盛りしていただいております。

交通情報

名称
日蓮宗 妙昌寺
住職
村尾雄志
アクセス
JR「甲子園口駅」から徒歩約20分(タクシーワンメーター)
阪神「武庫川駅」から徒歩約15分、阪神バス「武庫大橋」バス停から徒歩約5分
住所
〒660-0076 兵庫県尼崎市大島1丁目30-17
駐車場
敷地内に5台分
TEL
06-6416-6973